TH2SS
3月20日

昨年の夏休みからずっと、俺は向坂家に居候している。居候というよりも、これは軟禁と言ってもいいんじゃないか。そう言いたくなるほど、俺の自由は勉強によって制約されている。言ってみれば、医薬系の大学を目指している人が、学校の長期休業中に予備校の企画で参加している合宿が毎日あるような感じだ。
特にこの春休みなど酷いものだ。朝5時に起きてジョギング、6時半に朝食を摂り、7時半から、90分ごとに十分の休憩を挟みつつ12時まで勉強。昼食が終わると再び13時から18時まで朝と同じように勉強をし、夕食を挟んで……。これが毎日続く。そんな地獄サンドイッチ。
まあ、この現状を嫌とは言えない理由というのもあるんだから文句ばかり言っても仕方はない。
「はぁ」
溜息を漏らす。
昼飯を食べて、勉強を再開してから3時間。俺は机に噛り付いている。机の上には有名予備校の講 師が書いた数学の参考書が広がっている。予備校なんて必要ないと主張するタマ姉だけれども、参 考書に限ってはそうでもないらしい。数学の参考書だけで夏から数えて5冊こなしている。それでもって、これが6冊目。
「文系なんだけどな、俺」
俺は数学の参考書を睨み付ける。かといって九条院の入試から数学が消える訳では無いのだけれど、憎たらしいものは憎たらしい。
九条院というのは正式名称を「九条女学院」といって、昨年までタマ姉が通っていた学校だ。幼稚園から大学まで併設されている由緒正しいお嬢様学校なのだが、どうやらタマ姉曰く、俺はそこに特例制度を使って入学しなければならないらしい。そう決まっているらしい。
ただし、その特例制度の条件は東大文T合格レベルの学力があること。正直、へこたれる。
でも、俺がそんな様子を見せるとタマ姉ときたら、「……タカ坊は私と一緒は嫌?」と上目使いで言ってきやがる。
あれはズルイ。
普段は何でもザックリと勝手に決めるタマ姉だからこそ、自分の決めたことに対して少し不安げな声で尋ねてくる仕草は効果バツグンなわけで。特に、俺に。
でも、数学は恨めしい。微分なんか見つけた愚か者に一撃見舞いたいほどだ。責任者、草場の陰か ら出てきやがれ。
「タカ坊」
参考書に向かってる俺に、歯切れの良い声と共に腕が絡み付く。
「うわっ」
突然の出来事に、俺は声を挙げて振り返えった。
「そんなに慌てて、ん〜、可愛いんだから」
そこにいるのは件の女性、タマ姉こと向坂環。
絵画を思わせる整った顔立ち、つい触れたくなってしまう艶のある赤みを帯びた髪、母性溢れる魅力的なバスト。外的な女性的魅力もあるけれど、1番の魅力は時折見せる、がき大将のように歯を見せて嬉しそうに笑う姿だ。これは譲れない。
「あら、ここ間違ってるわよ」
タマ姉は溢れる母性を俺に押し付けたまま机の上の赤ペンを取り、ノートに注釈を入れる。
「よし」
終わると、ペンを置いてまた俺を締め付け始めた。
「よし、じゃないから。……タマ姉、苦しいって」
「そんなに恥ずかしがることないと思うけど?」
「いや、恥ずかしがるとかじゃなくて……」
締め付けられている俺の体からミシミシという音が聞こえる。マジでサバ折り5秒前。
「ん〜、相変わらず最高の抱き心地。一年前からちっとも変わらない」
タマ姉は頬を擦り寄せて存分に俺を味わっている。
嬉しいんだ、確かに。キモチいいんだ、確かに。でも……苦しいんだ、確かに。
「タマ姉、……ギブ」
俺はたまらず机をバンバンと叩く。すると満足そうだったタマ姉の顔がみるみると不満そう になる。それでも渋々、腕を離してくれた。
「タカ坊が最近冷たくなった気がする」
「いや、そんなわけじゃなくて……」
タマ姉は口を尖らせて黙り込む。だから、タマ姉にそんなことをされると俺はどうしたらい いか困るんだって……。
「タマ姉?」
「……」
反応なしか。
「環?」
「っ!……」
肩がビクンと跳ねさせ、少しこちらを伺う。
「環、ゴメン」
「うん」
最近わかったことなのだけれども、タマ姉は男性から環と呼ばれることに慣れていないらしくて、環と呼ばれると心に幾分か隙ができるようだ。
考えてみれば、タマ姉を環と呼び捨てに出来る人間などたかが知れている。友人はもちろんのこ と、親縁のものでも、向坂家の長女であるタマ姉を呼び捨てにできる人間などほとんどいない のだろう。親や、その親、つまり祖母や祖父ぐらいなのかもしれない。
「じゃあ続き」
「・・・・・・止めて」
再び俺に腕を絡めてきたタマ姉を言葉で征する。不満そうな顔をするが、渋々止めてくれた。今日は少し機嫌がいいのかもしれない。
「まあいいわ。どう、勉強は進んでる?」
「まぁまぁ、かな。ついさっきもタマ姉にチェックされたばかりだし」
「ちょっと拝見」
タマ姉はノートを手に取り、見始めた。
「ん〜、あれ以外で間違っているところはなさそうね。順調順調」
見ていたノートを閉じ、満足そうに机の上に置いた。
「あれ?」
「今日はこれでおしまいにして、久しぶりにどこかにいきましょ」
「どこかってどこに?」
「だいぶ暖かくなってきたし、散歩なんてどうかしら」
「おっけ」
正直、散歩だけだと寂しい気もするが、数学から開放されるなら何だって構わない。
軽く一枚羽織って、香坂の大きな玄関の前でタマ姉を待つ。それほど経たないうちにタマ姉が出て来た。
「それじゃあ、行きましょうか」
その声を合図にして歩き始める。タマ姉はいつものように俺の真横より少し後ろを歩く。その位置をキープして歩き続ている。これが出来るってことは、完全に俺の歩幅を知り尽くしているんだろう。なんか、嬉しくなる。
「今日は雄二を見てないんだけど、タマ姉は知ってる?」
「雄二なら昨晩から親戚の家に呼ばれてるわ。倉の大掃除をするとかなんとかで男手が必 要みたい」
そういえば、昨日の昼飯の時に雄二に凄い形相で睨まれた気がする。今から思えば、あれはそのサインだったんだな。まあ、頑張れ雄二。
「大変だなぁ、雄二も」
「タカ坊だって毎日勉強勉強で大変なんだから、おあいこよ。雄二ったら、タカ坊が勉強するのを 見習って少しでも勉強を始めるかと思えば……」
タマ姉は呆れた声で遠くを見る。
「あはは。でも最近はこの生活に慣れて来たのか段々と楽にはなってきてるんだよね」
「あら、じゃあもう少し厳しくしてもいいのかしら?」
「タマ姉、それ洒落になってないって」
意地悪く笑うタマ姉を俺は全力で止める。さすがにこれは冗談だとは思うが、たまに冗談 で無い時もあるから気は抜けない。
「冗談よ、冗談。タカ坊も本気にすることないじゃない」
明るく笑うタマ姉を見て、俺は胸を撫で下ろす。今回は本当に冗談だったようだ。



通学路途中にある川にかかる橋を越え、河川敷を歩く。河川敷には桜が狭い間隔で植えられている。 もう少しすれば、この河川敷の桜も花開くだろう。ただ、まだ三月終わりなのでこの道は少し殺風 景だ。
俺は横を見た。
フワリと吹く風に撫でられて快く揺れる赤みの強いタマ姉の長い髪。夕日に染まって少し赤い、彼女の横顔。いつも会っているはずなのに、新鮮な感じがする。
「どうしたの、タカ坊」
タマ姉が俺の顔を覗き込んだ。
「ぼーっとした顔して」
タマ姉が綺麗な歯を見せて可笑しそうに笑う。
どうやら俺は、顔を真っ赤にしながらタマ姉をじっと見てほうけていたらしい。
「綺麗なものを見てた」
我ながら恥ずかしい台詞が出たものだ。言い終えた瞬間から恥ずかしさが込み上げて来た。
「綺麗なもの?」
タマ姉は振り返り、後ろを見る。水平線に吸い込まれていく大きな夕日があった。
「確かに、綺麗ね」
タマ姉が溜息と共に呟く。
「違うんだけどね」と、俺はタマ姉に聞こえないように言った。
河川敷を歩いているうちに、夕日は完全に水平線に吸い込まれてしまった。
「そろそろ戻りましょうか」
腕時計を確認したタマ姉が提案する。
「大分、気分転換になった」
俺は「んー」という声を出しながら両腕を上げて伸びをする。
その様子をタマ姉は小さく笑いながら見ていた。
河川敷を離れ、たまにタマ姉が子どもたちと遊んでいる公園の前に差し掛かった。
「タカ坊、ごめん」
笑っていたタマ姉が突然真剣な顔になった。
「?!」
タマ姉は一直線に公園の外灯めがけて駆けていく。俺もそれを追った。何があったかぐらいは確したい。
外灯の下には女の子がいた。女の子はタマ姉を見ると抱き着いて泣きじゃくった。
「お姉、……ちゃん」
「うん」
タマ姉はあやすよう女の子の頭を優しく撫で、抱きしめている。安心したのか、段々と女の子は泣 き止んでいく
。 暫くすると、女の子は自分からタマ姉から腕を解いた。目の下が真っ赤になっている。
「あ、あのね……お姉ちゃん……」
女の子は下を向いて話しを始めた。今の顔を見られたくないのだろうか。
「どうしたのかな、香奈ちゃん」
女の子の名前は香奈というらしい。歳は10歳ぐらいで、髪を上手に両側で縛っている。かわいらしいロゴの入っている水色のコートの袖は、涙で少し濡れているように見えた。
「私ね、明日、お引越するの」
女の子の声が再び涙声になる。
「そう……」
悲しそう顔をタマ姉はしている。タマ姉にとっても、この公園に集まる子どもが減ることは寂しいのだろう。
「……でね、私ね、まだ、お別れが言えてない、の……」
女の子は泣きそうになりながらも、顔をくしゃくしゃにして必死に堪え、声を出している。
「……そっか。でも、言いたいんだよね」
少しの間をおき、タマ姉は目の前で泣きそうになっている女の子の目を見ていった。
目に涙を浮かべた香奈ちゃんを、タマ姉はを再び抱きしめた。香奈ちゃんの目に溜まった涙がこぼ れることはなかった。タマ姉の服をしっかりと握り、首を縦にふる。
「どうしたらいい? お姉ちゃん」
タマ姉の耳元ですがるような声を出す。タマ姉がふっと、瞼を閉じた。
「ちゃんとお別れ言った方がいいと思うな、お姉ちゃんは」
「…………」
女の子は、服を握る手に力を込めた。シワになっていた部分から、さらにシワが延びていく。
「お姉ちゃんは言ったよ、お別れ」
タマ姉が優しく呟いた言葉に反応して、驚いた顔する。
「お姉ちゃんも、お引越したの?」
「ううん」
タマ姉が首を振る。女の子の顔はみるみる暗くなった。
「でもね、少し理由があって、私がちょうど香奈ちゃんぐらいの時にこの町を離れなきゃ いけなくなったの」
「理由って?」
「学校を変えなきゃいけなくなったの」
「転校?」
「うん」
ゆっくりとタマ姉は頷く。暗くなっていた香奈ちゃんの顔が更に暗くなる。しかし、どこか嬉しそうにも見える。
「香奈ちゃんは、お別れを言いたい人に、またいつか逢いたいと思う?」
「うん」
「じゃあ、ちゃんと言わないとね。また逢おうね、って」
香奈ちゃんはタマ姉を不思議そうに見上げた。
「また会おうねっていえば、いつかきっと逢えるんだから」
タマ姉は自分を見上げている香奈ちゃんに太陽のような最大級の笑顔を向けた。その笑顔に照らされて、暗かった香奈ちゃんの顔も段々と明るくなる。
「うん!」
大きく首を振って、香奈ちゃんはタマ姉の腕の中から抜けた。
「私、言ってくる。お姉ちゃん、ありがとう。またね!」
「うん、またね!」
手を振って公園から出ていく香奈ちゃんに、タマ姉も腕を振って挨拶を返す。
香奈ちゃんがいなくなってから、少しの間をおき、溜め息と共にタマ姉は「そっか」と言った。
「香奈ちゃんには、好きな男の子がいるの」
「へぇ」
「でも、香奈ちゃんはいつも自分をうまく表現できなくて」
「だからあの子、タマ姉を待ってたんだよ」
声を出さずに、首だけ動かしてタマ姉は肯定した。
普段なら家に帰っている時間なのにも関わらず、あの子は公園にいた。それも、目立つよ うに外灯の下に。あの子は見つけて欲しかったからそうしたのだろう。
「なら、あの子は運がよかった」
「運じゃないわよ」
「運じゃない?」
「えぇ、これは縁」
タマ姉が俺の顔を見る。見て、なぜか優しく微笑む。
「私とタカ坊が、一度は離れたのにまた出会うことができたのと同じ」
「それは、タマ姉が九条院をやめたからで」
タマ姉は首を振る。
「あの日、私は約束したもの」
その言葉を聞いていて、昔のことを思い出した。ずっと昔、タマ姉が転校して九条院に行ってしま う日の前日のことを。
その日、俺はタマ姉に呼び出された。何をされるのかわからなくて、でも、逆らうと何をされるか怖いからとりあえず行った。その日、タマ姉は俺に愛の告白してきた。
タマ姉はその過去と、あの女の子の今を重ねている。同じ境遇に立っている子だから、あの子が悲 しむ姿を見たくないのかもしれない。
スッと、タマ姉は近づいてきて、腕を絡めて来た。上目使いに俺の顔を覗き込んで、微笑む。
「タカ坊、私があの時言った誓いの言葉、覚えてる?」
あの時の言葉とは、タマ姉が九条院に行ってしまった前日のことだろう。
誓いの言葉とは、告白してきたタマ姉が俺に言わせようとした言葉。
それを覚えていることが当たり前のような口調で聞いてくる。俺が憶えていないわけが無い。当た り前だ、今でもことあるごとに言わせようとするのだから嫌でも忘れない。
「覚えてるよ」
「じゃあ、タカ坊言って」
言葉にタメをつけ、思い切り甘い声を出し、ねだってくる。端から見ればとんでもないバカップルなのだろう。自分でも今している事が、されている事がどのように見られるかぐらいは分かっている。
でも、今日はタマ姉に従ってもいい。いつもは恥ずかしくて言わないが、今日なら言ってもいい。バカップル上等だ。何故なら今日は……
「俺は、生涯タマ姉のことを愛しつづけることを誓います。もし俺たちが離ればなれになることになっても、かならず再会して想いをそいとげることを、ここに誓います」
「・・・・・・うん」
恥ずかしげに、しかし嬉しそうにタマ姉は頷く。
「覚えてる? 今日は」
「今日は、俺とタマ姉が再会をした日」
タマ姉は絡めた腕に力を込めた。少しだけ痛い。
でも、まぁ、少し赤くなっているタマ姉のはにかんだ笑顔を見れたから、良しとする。
「正解」
多少の縁と、驚くまでの行動力。誰より優しくて、誰より女性らしい。多分、俺はこの先もそんなタマ姉と過ごすのだろう。
今も昔も、そう、誓ったのだから。



緋者そーやのコメント
友人から、「え? まだこのサイト生きてたの?」といわれました。まぁ、仕方ないですよね。前回更新から3ヶ月近く経ってれば。これからは頑張ります。
そんなわけでタマ姉です。これでよかったのだろうか・・・・・・。全国のタマお姉ちゃんスキスキな人たちから画鋲を入れた封筒が送りつけられないことを祈るばかり。ちなみに、ネタを思いついたのが2月中旬。間に合うとおもって、この3月20日というのをネタにしました。しかし、蓋を開ければとっくに過ぎていた。ダメダメっぷり全開
とりあえず、次回は俺の妄想全開のものを。おつまみとして乗せます。大丈夫、もう校正段階に入ってる。

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