オリジナルSS
ねねことコーヒー


 塚居は今日も2人分のミネラルウォーターを電気ケトル入れて、スイッチを押す。

 お湯を沸かしているその間に大きめのコップを2つ出し、
 スーパーで安売りしていたインスタントコーヒーの粉を入れた。

 水色のコップにはスプーンで2杯半、薄い黄色のコップには少し多めの1杯。
 次に戸棚から砂糖壺を出し、水色のコップには1つ、黄色のコップに角砂糖を2つ入れる。
 少しだけ考えるように間を空けてから、もう1つ角砂糖を摘んだ。
 そして、また少しだけ考えて、呟いた。

 「今日はちょっと苦めにしてみるか」

 塚居は少しだけ意地悪な笑いを浮かべ、摘んだ角砂糖を砂糖壺に戻した。
 ただ、心からの意地悪でそうしたのではない。これは、ねねこのたっての希望なのだ。

 『コーヒーが飲めるようになりたいんです!』

 ねねこが塚居の魔法によってねこから人間の体になって、
 克人と暮らしてから初めてしたお願いがこれだった。
 確か、暮らし始めてから1週間ぐらい経った日だっただろう。

 塚居はそのお願いをとても印象深く記憶している。
 あまり我を出そうとしなかったねねこが、人間の姿になってから初めて
 自分に我がままを言ってくれたというのが理由の1つだ。

 それからというもの塚居は、ねねこのために毎日コーヒーを淹れている。



 電気ケトルのボタンがパチッという音を立てて戻る。
 少しだけ待って、コップにお湯を注いだ。塚居は温いコーヒーがあんまり好きではないが、
 ねねこが熱いコーヒーが飲めないので仕方ない。

 お湯をカップの半分だけ注いだところで冷蔵庫から冷たい牛乳を取り出し、
 カップいっぱいに注ぐ。それをスプーンで2回ほどかき混ぜれば
 塚居特製のインスタントコーヒーの完成だ。

 スプーン一杯のコーヒーに角砂糖2つ、たっぷりの牛乳から成るそれは、
 コーヒーと呼ぶよりもカフェオレと呼ぶ方が正しいのだが。


 「ねねこ、お茶にしましょう?」
 塚居は一階に向かって叫んだ。そこには塚居が経営している塚居薬局がある。
 ねねこはそこの看板娘として最近アルバイトを始めた。
 とはいえ、個人商店の塚居薬局に大勢の客が来るわけもなく、
 たまに来る顔見知りのお客さんに笑顔を振りまいているだけだ。

 「は、はい!」
 ねねこは少し緊張したような声で塚居の呼びかけに応え、店の2階にあるリビングへと向かった。

 ねねこが店先から居なってしまうと塚居薬局は無人の店になってしまう。
 ただ、塚居薬局を利用するお客さんは、2階でお茶を飲んでいることを知っているので、
 店先に誰も居ないと声をかけてくれるか、塚居の携帯にメールをしてくれる。
 ちなみに泥棒とか、そういう類のものは気にしていないらしい。


 「すみません! 遅く、なりました」
 バタバタと階段を昇ってきたのか、ねねこは息を切らしている。
 その顔は、緊張一色だった。

 「ほら、いいから座りなさい」
 塚居はその顔を見て、いつものように苦笑いをする。
 「はい……」
 申し訳なさそうに頭を下げて、ねねこは花柄のクッションが置かれている椅子に腰掛ける。
 「今日は砂糖2つにしておいたから」
 「ふぇっ?」
 塚居は常連のおばあさんに戴いたカステラを皿に盛りながら、
 ねねこの顔を見ずに言う。きっと、ねねこの目は点になっているに違い無い。
 「やっぱり」
 振り返って見たねねこの顔は、塚居の想像と寸分と違わなかった。皿をテーブルに置きながら、塚居は声を出して笑う。


 ねねこは塚居に文句の1つも言わない。ただ恨めしそうにコーヒーカップを見て
 口を半開きにしたままカチコチに固まっていた。
 「ほら、そんなんじゃコーヒーが飲めるようにならないじゃない」
 塚居はカップをねねこの目の前に寄せる。ねねこの目が恐る恐るそれを追いかけた。

 「飲めるようになりたいんでしょ?」
 「はい……」
 複雑な顔をしてねねこは頷く。
 「それに、砂糖2つは今日が初めてじゃないでしょう」
 「うぅ……」
 ねねこは頭を抱えて机に突っ伏す。
 「初めてじゃないから、苦いのが分かっちゃうんじゃないですか……」
 「そんなに苦い?」
 「苦いですよ」
 ねねこは即答する。
 それに切り返すように塚居が言った。
 「それでダメじゃ、ブラックなんて一生無理ね」

 「そ、それはイヤです。私はブラックを飲めるようにならないとダメなんですよ!」
 ねねこはガバっと起き上がり、カップを手に取る。
 恐る恐る、でも着実にカップを顔に近づけて傾ける。
 カップの端を口に付ける。唇にコーヒーが触れた。
 「ん」

 ねねこは少しだけ口を開く。
 開いた所からスッとコーヒーが入ってくる。そして、すぐに口の中にコーヒーの香りと味が広がった。
 「んん!」
 口の中に入ってきたコーヒーをまるで薬のように一気に喉の奥に流し込む。
 「――ど、どんなもんですか」
 「ゼロ点」
 ねねこは少しだけ量の減ったコーヒーカップを見せ、飲めたことをアピールする。
 塚居は苦笑いでそれに応えた。
 「うぅ……」
 特訓を始めてから既に2ヶ月は経とうとしているのに、一向にコーヒーが飲めるような兆しがない。
 とはいえ、元々ねこという生き物がコーヒーを飲めないのだから
 仕方のないことかもしれないのだが。


 それでも一応、毎日カップは空にして帰る。
 だが、それはコーヒーを味わって飲んでいるというわけではなく、今のように無理やり流し込むという感じで飲み干すだけだった。
 ただ、無理やりにでも飲み干すねねこを見ていると塚居は止めることができない。
 「まったく、無理しちゃって……」
 苦味を堪えるため、目を閉じながらコーヒーを飲むねねこを見ながら塚居は呟いた。
 ねねこはそれに全く気づくことなく、コーヒーを一口飲んでは必死にカステラを口の中に放り込んでいた。



 ねねこと塚居がコーヒーを飲みながらまったりしていると、
 『すみませーん』と間延びした声が1階の薬局から聞こえてきた。

「八木さんじゃない?」
「そうみたいですね。行ってきます」
「はい、いってらっしゃい」
 ねねこは立ち上がり、足早に1階へと向かった。

 八木さんは塚居薬局のお得意さんで、1週間に一度話し相手を求めて薬局に現れる
 おばあさんだ。最近あった近所の噂話や旦那さんとの喧嘩の話ばかりする。
 そして最後に話を聞いてくれたお礼としてか、レジ横にあるのど飴を1袋買って帰る。
 喉が疲れてしまったから買っていく、という説もある。

 チェーン店のドラッグストアにとっては迷惑なお客さんかもしれないが、
 ご近所に愛されることが生命線の個人商店からしてみれば、こういうお客さんこそ大事にしていかなければならない。
 ねねこは塚居からそう教わった。
 まぁ、そんなこと教わらなくともねねこは人を邪険に扱うことは無いが。


*****



 塚居は飲みかけのねねこのカップを見た。
 無理やりにでもコーヒーが飲めるようになりたいというねねこの気持ちを塚居は分かっているつもりだ。

 ねねこが人の姿で居られるのは塚居の魔法の力のお陰だ。
 ただ、塚居の使う魔法には媒介が必要となる。その媒介とは、想いや願い。
 ねねこが人で居られるのは塚居の魔法の力のお陰だが、
 その魔法が働いているのはねねこと一緒に暮らしている晴山克人の
 『ねねこに人の姿で居て欲しい』という願いがあるからこそなのだ。
 逆を返せば、克人がねねこに『人の姿で居て欲しい』と願わなくなった瞬間に
 ねねこは元の猫の姿に戻ってしまう。
 猫に戻ってしまえば、ねねこは克人と永遠に言葉を交わせない。


 それだけではない。
 願わなくなった、ということは捨てられたということと同じなのだ。

 ねねこは一度捨てられた猫だ。
 ねねこの心のどかには、もう捨てられたくないという思いがどこかにあるのだろう。
 このバイトを始めたときもそうだったが、どこかで気に入られようと
 無理をしているのではないかと塚居は心配になることが時折ある。 「……まぁ、頑張りなさい」
 塚居はねねこのコーヒーを電子レンジで少しだけ温め直し、
 角砂糖を2つ入れてかき混ぜた。そして、何事もなかったかのようにテーブルの上に戻す。


 暫くして、ねねこが八木さんとの会話を終えて戻ってきた。
 「あら、今日は短かったのね」
 「はい」
 塚居は壁かけの時計を見ながら言う。
 いつもなら1時間近くは話すのに、今日は20分ぐらいしか話をしていない。
 「なんでも、来週にお孫さんが来られるらしくてその話を嬉しそうにしてました」
 「お孫さん――美月ちゃんね。もうそろそろ小学生に上がるはずよね」
 「はい。なのでランドセルというものを買って送らないといけないから
  デパートに行かないと、と言って帰られました」
 「なるほど」
  塚居は頷く。それなら八木さんが早く帰るのも納得がいく。さすがの孫パワー。

 「ところで、ランドセルってなんですか?」
 「小学生が学校に勉強する道具を持っていくためのカバンみたいのよ。
  リュックサックみたいに背負うの」
 「あぁ、正平君と昌樹君が背負っている黒いカバンですね」
 正平と昌樹は、ねねこの友達だ。ねねこに克人以外の人間の知り合いがいるということを塚居はとてもいいことだと思う。
 だが、それが現役小学生というのもどうなのだろうと塚居は思う。
 勿論、悪いことではないのだけれども。
「そう。でも女の子は大体赤いランドセルかな。最近はピンクとかいろんな色が増えてきてるみただけど」


 ねねこは椅子に座り、カップを傾けた。
 「そうなんですか――あれ?」
 ねねこが唇からカップを放して首を傾げる。
 「どうしたの?」
 「いえ、コーヒーが少し苦くなくなっているんですよ」
 ねねこが嬉しそうに言う。
 「そう」
 「はい!」
 ねねこは元気よく頷きながらコーヒーを飲みはじめた。


*****



 カステラに頼らずコーヒーを飲み終え、自慢げに鼻歌を歌いながら
 ねねこはカップを持ってシンクに向かう。
 鼻歌交じりにカップを洗うねねこを見て、塚居は口を緩ませた。

 「明日も同じ苦さでお願いします」
 「大丈夫? まだ苦いんじゃないの?」
 「……それでも頑張ります。初めは苦くて飲めなくても、きっと特訓すれば飲めるようになります。ならないといけないんです」
 「そう」
 「はい」

 タオルで手を拭き、ねねこは階段へ向かう。
 「では、私はまた下に行ってきます」
 「あっ、そうだ。カステラ、持って帰る?」
 皿に残った3切れのカステラを指して塚居が訊ねる。
 「はい、お願いします――それでは、仕事に戻ります!」
 「ん、いってらっしゃい」
 塚居はタッパーを取るために立ち上がりながら、階段を下りるねねこを見送った。


*****



 ねねこが人間の姿、とはいえネコミミだけが残った姿、になってから克人がした2つ目の願いは「ねねこの服をどうにかして欲しい」だった。
 そして、3つめの願いは「ねねこがコーヒーを飲みたそうにしているので何とかしてやれないか」ということ。
 それは、ねねこが塚居に同じお願いをした前日の話だ。

 どうしてそんなお願いをするのか、と塚居は克人に訊ねた。
 別にコーヒーが飲めないと困るということはないはずだ。

 その時の克人の答えは、とてもシンプルなものだった。
 シンプルすぎて、当人たち以外は気にも留めないようなことだった。

 克人は言った。
 「同じものが飲めたら嬉しいじゃないですか」
 塚居は恥ずかしそうに少し顔を下げる克人の目を見て同意した。
 「確かにね」


 克人はねねこが塚居と特訓しているのを知っている。それは塚居が教えた。
 だが、そのことをねねこは知らない。そうするように塚居と克人は決めた。
 いつか、ねねこが自分からコーヒーを淹れ、
 自慢げに「一緒に飲みましょう」と克人に言える日まで内緒にしておこうと塚居が提案したのだ。

 多分その日は遠いけれども、決して来ない日ではないと確信しながら。






……文章でサイトを更新するのはいつ以来か……
はい、緋者です。覚えている人、いるでしょうか。ねねこのお話です。

本当は短編にするつもりがありませんでした。それなりの規模で書こうと思っていました。
ただ、なんとなくこれでまとまってしまいました。キャラが勝手に纏めてしまったのだから
しかたないのかなぁ、と思っています。
ともあれ、設定なんて覚えている人いないんだろうなぁ……とか思いながら
くどすぎない程度にあらすじ的なものをちりばめたのですが……難しいっっ!!

もう少しねねことに違うお話で登場してもらえればな、と。こういう短編の形なら出せそうですし。
さて、次の更新はいつになるやら……
またいずれ。

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