オリジナルSS
ねねこバイトする




世の中にはどうにもならないことがある。一般人が100メートルを9秒台で走るとか、ピカソ級の絵画を描くとか、底をついた財布を一瞬にしてお札でいっぱいにするとか。
 まぁ、そんな世知辛い現実を克人は味わっていた。
「どうしよう」
 目の前にある光熱費や食費と書かれた茶封筒の群れを見て、克人は唸る。
もう一度財布の中身を確認してもう一度うなった。
唸っただけでお金が貰えるなら儲けものだと思い、もう一度唸ってみたが何かが変わるわけもなく、目の前には空の茶封筒が群れているだけだ。苦し紛れに開けた財布には、数枚のレシートと小銭しか残っていない。
貯金通帳の中には幾らかは残っているものの、親から入金があるまでの2週間という期間を持ちこたえられるだけの蓄えがあるかは微妙なところだ。
「どうしたんですか?」
 深夜のバラエティ番組を見ていたねねこが克人の肩を揉むように掴んで頬を摺り寄せる。風呂上りのシャンプーの甘い香りが克人の鼻腔をくすぐる。
「いや、ね」
 克人は目線を逸らし、ため息をつく。
「お金無くてさ」
「はぁ」
「結構切実なんだけどね」
 気の抜けたねねこの声を聞いて何となくイラっとしたので、少し怒った声を出す。ねねこもそれを察したのか、頭の上についている耳がしゅんとなった。
「……お金がないと大変なんですか?」
 ねねこには事の重大さが分かっていない。まぁ、それも仕方ないのだろう。なぜなら、ねねこはネコなのだから。
今、ねねこは不思議な力によって人の姿をしているのだが、つい2週間前まで、4つの足で歩いてニャーニャー言っているネコだった。
「うん、大変なんだよ」
「どう大変なんですか?」
「……えっとね」
克人はねねこでも分かるような簡単な例を考える。
「お金がないとご飯が食べられないし、服も買えない」
「そっ、それは大変ですね」
「そう。お金って大事なの」
 克人の思惑通り事の重大さを理解したようで、大きな目を更に大きくしてねねこは驚く。克人は、それに満足したのか頷きながらまた茶封筒に視線を戻す。
「どうしようかなぁ」
 克人は下宿費用の全てを親からの仕送りに頼っている。
獣医大の学生ということもあり、定期的なバイトをこなすのは少し困難だった。大学に入ったばかりのころにはバイトをしていたのだが、レポートや試験に終われて続けることができなかった。
「親は頼れないしなぁ」
 克人はぼやく。
 ねねこと共同生活をしているということを親には言っていない。その上、一人で暮らすには十分な仕送りを貰っている。言い訳が思いつかない。
いっそのこと、ねねこと共同生活をしているということを親に伝えるかと考えたが、すぐ思いとどまった。そんなことをしたら家族が乗り込んでくるかもしれない……。
「短期のアルバイト探すかな」
 追い込まれた挙句、結局はそこに至る。
 克人はパソコンの電源を起動し、インターネットブラウザを立ち上げる。検索エンジンに「日雇い」と打ち込むとたくさんのサイトがヒットした。
「何を探してるんですか? 私もマウスをクリックしたいです」
ねねこは身を乗り出して画面を見る。克人が動かしているマウスを奪おうと手を伸ばすが、伸ばすたびに克人にやんわりと払われる。
「日雇いのアルバイトを探しているんだよ」
「日雇い? アルバイト?」
 マウス奪還を止め、ねねこは首をかしげる。
「ん〜、自分で調べてみな」
 そういって克人はねねこに国語辞典が入っている棚を指す。ねねこは棚から国語辞典を取り出すして嬉々として調べ始めた。
ところで。
ねねこは不思議な力によってヒトの姿になった。そのとき、箸を使うなどの日常生活に必要なことはできるようになっていた。
だが、文字を読むなどの知識的なことは全く出来ない。不思議な力、といってもそこまで融通を利かせてはくれていなかった。
それに気がついた克人は、ねねこに教育をしようと考えた。その初めとして平仮名を教え、国語辞典を引いて自分で調べるという癖を付けさせようとしている。
平仮名を覚えたてのねねこは悪戦苦闘しながら国語辞典を引く。好奇心と根気は人一倍あるらしく、習い始めてから10日で平仮名全45文字を制覇した。
「見つけました」
 ねねこは嬉しそうに「ひ」のページを開き、「ひやとい」と書かれた場所を指差す。
「ここです。読んでください」
 漢字が読めないねねこの仕事はここまでだ。克人は国語辞典を受け取って、そこに書いてあることを読んでやる。
「日雇い、一日だけの約束で雇うこと。また、そのような約束で働いている人」
「へぇ」
「うん、ちなみにアルバイトっていうのは、簡単に言えば仕事のこと。一日だけ働いてお金を稼ぐ方法が日雇いバイト」
 克人はねねこに国語辞典を返す。再びディスプレイに向き、目ぼしい求人情報に目を通す。
「私にもできますか? アルバイト」
 国語辞典を本棚に戻し、ねねこはチョコンと克人の隣に座る。ねねこは、ディスプレイを見て難しそうな顔をしている克人に言った。
「まだ無理じゃないかな」
 平仮名しか読めないねねこができるアルバイトというのはないだろう。克人はきっぱりと答える。
「そうですか」
 ねねこの耳がしゅんと垂れる。
 落ち込むねねこを見て、克人は優しく頭を撫でる。
 登録制の日雇いバイト求人サイトにバイトに出られる日を登録し、パソコンの電源を切る。
「さて、そろそろ寝ようか」
 克人は立ち上がり、押入れから布団を2枚取り出す。ねねこもそれを手伝い、寝る準備はすぐに整った。
「それじゃあ、お休み」
「はい。お休みなさい」
 克人は布団に潜り込むとすぐに寝息を立て始めた。
 ねねこはあお向けから体制を代えて、寝息を立てる克人の顔を見ていた。全く眠くならない。
ねねこはさっきの克人の顔を思い出していた。
 克人は難しい顔をしてパソコンの前に居た。その顔がレポートというものを書いている時の顔と同じだったので、なにやら難しいことを考えているのだろうということは分かる。
 パソコンを使って克人がしたことは何だろう。確か、アルバイトというのに登録していた。アルバイトというのは、働いてお金を稼ぐものだったはずだ。
 じゃあ、なんでお金を稼がないといけないのだろう。
 ねねこは気がついた。気がつくと、歯がゆく思えてきた。
お金が尽きるという現状を招いたのは自分のせいだ。それで克人は大変な思いをしている。もし2週間前に自分が克人の家に押しかけなければ、克人は難しい顔をしてパソコンの前に座ることは無かったはずだ。
克人はねねこに生活するうえで必要なものを買い揃えた。貯金も随分崩した。
「……」
 ねねこは寝息を立てている克人を見て、大きな決意をした。







次の日の昼、克人が用意したお昼ご飯を食べてからねねこは外に出た。11月になり、風も冷たくなったので茶色が基調のロングコートを羽織り、頭には耳を隠すための大きな帽子をかぶっている。これらも全て克人が買ってくれたものだ。
「……こんにちは、魔女さん」
 ねねこが向かった先は塚居薬局という商店街の端っこにある小さな薬局だ。ねねこはここの店長である塚居にペコリと頭を下げて挨拶をする。
「あら、久しぶり」
 塚居はカウンターに肘を乗せ、ヒラヒラと手を振る。
「久しぶりって、おとといに来たじゃないですか」
 ねねこにとって塚居は第2の母親ともいえる。ねねこがネコからヒトの姿になれた裏には、塚居の不思議な力があるのだ。
不思議な力、それを塚居は「魔法」と呼んでいる。この魔法は「心の力」を使った奇跡。『こうありたい』、『こうあって欲しい』という強い想いを力に代えることで奇跡は起きる。
ねねこが塚居のことを「魔女さん」と呼んでいるのは、塚居が魔法を使うからで、塚居が普段薬局を営んでいるのは、仮の姿というか、生きるための副業だ。
「あら、そうだったかしら」
 ヘラヘラした顔を崩さず、塚居は傍らに置いてあった長い棒を持った。
「まぁいいわ。お茶でも飲んでいきなさいな。そこで靴脱いで、2階ね」
「……いいんですか?」
「いいの、いいの」
 営業時間中だというのに構いもせず、塚居はねねこを薬局の2階にある自室へ誘う。カウンターから出て、手に持った棒を器用に使いシャッターを下ろす。
ねねこは、首をかしげながらも帽子とコートを脱ぎ、素直に塚居の自室に向う。
 ねねこより一足遅れて2階に上がった塚居は、ねねこにソファーに腰掛けるよう言ってキッチンへ行った。
ねねこはソファーに腰掛けて部屋を見回す。塚居の部屋は克人の部屋より明るくて暖かい雰囲気がある。いつかはこの部屋のように克人の部屋をリフォームしたいと考えている。でも今は、それどころではないということが分かっている。
 しばらく待っていると、遠くからヤカンが噴く音が聞こえた。
キッチンから塚居がねねこに声をかける。
「バームクーヘン食べる?」
「ありがとうございます」
 そう言ってからしばらくして、塚居がお盆にカップを2つと厚切りのバームクーヘンを2切れ乗せて現れた。
「はい、どうぞ」
 それをテーブルの上に置く。カップの中には少し冷ましたカフェオレが注がれている。
「カフェオレ、ですか……」
「ねねこもそろそろ慣れないとね」
「はぁ……」
 ねねこは目の前に置かれたカップに入っているカフェオレを凝視する。
ねねこからしてみれば、どうして人間はこんなに苦いものを飲んで平気で居られるのか不思議でならない。
「苦いんですよね? これ」
「苦いっていってもカフェオレよ。ねねこのは砂糖がたっぷり入ってる特製なんだけど……飲まないの?」
「いえ、飲みます」
 ねねこは勢いを付けて、両手でグッとカップを掴む。それが面白くて、塚居はくくっと笑う。
 ねねこは突然ブラックのコーヒーを飲みたいと言った。レポート中に克人が飲むコーヒーがどういう味なのか知りたかったらしい。
「ブラックまでは遠いわね」
 ねねこはカップを掴んだまま中に注がれているカフェオレを見ているだけで、全く口に運ぶ様子がない。
塚居は嘆息した。
初めてブラックを出したときは、口に含んだだけで吐き出してしまった。そういう経緯を踏まえ、今は砂糖たっぷりのカフェオレで特訓中だ。
「いえ、大丈夫です。ブラックのコーヒーを飲むまで私は諦めません」
 それと、本来ネコにはカフェインを与えてはいけない。しかし、今のねねこはヒトの体なのだからカフェオレ程度のカフェインを服用してもなんら問題は無いらしい。そういうところ、塚居の魔法は便利にできている。
「じゃあ、飲めば?」
「はい、飲みます」
「早く」
「は、はい……」
 恐る恐るカップを口に近づけ、唇にカップのふちが触れた瞬間、グィとカフェオレを流し込んだ。緊張しているのか耳がピンと立っている。
「やっぱり苦い?」
 笑いながら塚居は尋ねる。反応が分かりきっているので、滑稽でたまらない様子だ。
ねねこはカップいっぱいに入っていたカフェオレを半分飲んでカップを机の上に叩きつけるように置き、バームクーヘンにかぶりつく。塚居の質問には、首を縦に振って答えた。
「やっぱり、ブラックはまだまだね」
「ふぁい……」
 ねねこは気の抜けた声で返事をする。それが可愛らしくて、塚居はねねこの頭を優しく撫ぜた。
「まっ、克人君に良いところ見せられるようにがんばろうね」
「……はい」
「しょげないの。協力してあげるから」
 落ち込んでいるねねこの耳の裏をくすぐる。たまらずねねこは体をよじる。
 ねねこに元気が戻ったところを見て、塚居が本題を切り出した。
「それで、今日は何の用事で来たの? 遊びに来た、ってわけじゃないでしょ?」
「ど、どうして分かったんですか?」
 ねねこがびっくりするのを見て、塚居はやっぱりというように笑った。
「だって、店に入ってきたときのねねこの顔が何か悩んでますって顔だったしね」
「ふぇっ」
 ねねこは自分の顔をぺたぺたと触る。見ている分には面白いのだが、話が進まないので塚居は話を促した。
「それで、何の用事? 相談?」
「えっと、その。はい、相談したいことがあって来ました」
 ねねこは言いづらそうに膝をモジモジさせる。
「私、アルバイトしたいんです」
「え?」
 塚居は思わず聞き返した。
「私、アルバイトしたいんです!」
 今度は力強く言う。
だが、極めて冷静に塚居は答えた。
「それは無理」
「へ?」
 ねねこは肩透かしを食らったようにポカンとする。
「私の魔法では、アルバイトができるまでの知識は付けられないもの。文字とか読めないでしょ?」
「平仮名なら読めます!」
「……あらっ。でもね、それだけじゃ駄目なの」
 冷静に塚居は突っ込む。第2の母親としてではなく、一人の事業主としての判断だ。
「少なくとも、私の薬局じゃ雇えないわね。漢字はおろか、カタカナも読めない。算数も駄目じゃね」
「……」
 ねねこは肩を落としてうな垂れた。見るに見かね、塚居はため息をつく。
「別に意地悪を言ってるわけじゃないの。どうして突然働きたいなんて思ったのかしらないけど、今のねねこじゃ雇えないわ。それはどこの店だって同じよ」
「どうすれば、いいんですか?」
 ねねこはうなだれたまま呟く。
「克人さんだけが苦労しているなんて、私は嫌なんです」
 ねねこは語気を荒げる。
しかし、塚居はあくまでそれに冷静に返した。
「自分で考えなさい。与えられるだけじゃ、ネコだったときと何も変わらないわ」
 冷たく言い放った後、塚居は第2の母の顔になってねねこに優しく言う。冷たくしきれない性分なのだ。
「とりあえずカフェオレでも飲んで」
「……苦いから、カフェオレは苦手です……」
 ねねこはカップに半分残ったカフェオレを飲む。
 塚居は空になったねねこの皿に自分のバームクーヘンを千切って置いた。ねねこは小さく頭を下げてそれを口に入れた。
 カップのなかのカフェオレを全て飲みきり、ねねこは挨拶をして勝手口から塚居薬局を出た。
 勝手口で見送り、ねねこが居なくなった後に塚居は2階へ上がる。
「ねねこが平仮名を読める? 私の力では確かにそんなことはできないはず……。確認してみるか」
 塚居は携帯を取り出し、克人にメールを打つ。
 1分もしないうちに返信があり、商店街内の喫茶店で落ち合うことになった。
 






 ねねこは塚居薬局を出た後、克人に頼まれていた買い物を済ませて家に向かっていた。
ちょうど家と商店街の途中にある公園を通りかかったとき、知った声がねねこを呼んだ。
「おっ、ねねこ!」
 声の主であるサッカーボールを持った少年と、もう一人がねねこを囲む。サッカーボールを持っている少年の名前は坂田正平、もう一人の少年は谷原昌樹という。共に小学校3年生だ。
2人はよくこの公園で遊んでいる。買い物の帰りにここに寄るねねことはいつの間にか友達になっていた。たまにサッカーに熱中して帰りが遅くなり、3人揃って克人に怒られることもある。
「正平君に、昌樹君。……こんにちは」
 ぼぅっとした声でねねこは挨拶する。それを聞いて2人は心配そうにねねこを見る。
「どうしたんだよ、元気ないじゃん」
「なにかあったの?」
「あっ、えっと……なんでもないよ」
 塚居に言われた「自分で考えなさい」という言葉が頭の中で聞こえた。ここで2人に話してしまうと、答えを貰ってしまうような気がして、ねねこは嘘をついた。
「そうか? なにかあったら言えよ? 克人にいじめられたとか」
「克人さんはいじめなんかしません!」
 ねねこはムキになって怒る。それを見て2人は笑った。
「本当、ねねこちゃんは克人さんのことになるとムキになるよね」
「それはっ、だって……本当のことだから!」
 顔を真っ赤にしてねねこは昌樹に反論するが、それは火の中に薪を入れているようなものだった。2人は一層笑い転げる。
それを見て、諦めたのか態度にムッときたのかねねこが押し黙る。さすがに居心地の悪さを感じたのか、2人も笑うのを止めて顔を向かい合わせた。
何か閃いたのか、昌樹は正平を突然指差す。
「そうそう、聞いてよ。坂田君ね、また算数のテストで0点取ったんだよ」
 昌樹は正平を馬鹿にするように指を指しながら笑う。それにカチンときた正平は、昌樹の足を蹴る。
「うるせぇ」
「前のテストのときも0点だったよね」
「俺だって勉強してれば100点だよ」
「どうだかねぇ」
 昌樹は殴りかかってくるこぶしを避けながらおどけた。
追いかけあう2人を見て、ねねこは笑う。
しばらくその様子を見ていた。
「私、帰りますね」
 ねねこは大きな声を出して、追いかけあう2人に言った。
「もう帰るのかよ」
「遊ぼうよ」
 2人は追いかけっこを止めてねねこを止めたが、ねねこは頭を振った。
「すみません」
「そっかぁ……」
 正平はつまらなそうに口を尖らせた。
「僕たちも帰ろうか」
 公園の時計を見て昌樹が言う。時計は5時近くを指している。空には月が昇っていた。
「そうするか。じゃあな、ねねこ」
「じゃあね、ねねこちゃん」
「うん、ばいばい」
 ねねこは2人が公園から出て行くのを見送ったあと、ゆっくりと公園から出た。
「よし、がんばろう」
 冷たくなった手に白い息を吹きかけ、ねねこは気合を入れた。







 克人は塚居からメールを受けて商店街にある喫茶店にいた。
メニュー表\\\の中で一番安いストレートティーを頼んでから、かれこれ1時間近くは待ちぼうけを喰らっている。
目の前の冷めた紅茶をちびちび飲む。
時折、店主が横目で見てくるのが心にキタが、待ち合わせをしているので帰るわけにもいかない。まして、新しい飲み物を頼む金もない。
「兄ちゃん、待ちぼうけかい?」
 野太い声で店主が言う。
一瞬、小言を言われるのではないかと焦ったが、何のことは無い、ただ話題を持ち出してくれただけのようだった。
「えぇ。塚居さんからここで待つように言われていて」
「あぁ、塚居さんね」
 髭面の店主は苦笑いをする。
「しっかりしているようで、絶対に時間だけは守らないからな」
「そうなんですか……」
「あぁ」
 そう言って、店主は克人に代わりの紅茶とチーズケーキをトレーに乗せて持ってきた。
「まだ来ないだろうからな」
 トレーの上のものをテーブルの上に置きながら、縁起でもないことを真顔で言う。克人は小さくため息をついた。
 突然、入り口のベルが鳴った。
「遅くなってごめんなさいね」
 言っている言葉とは裏腹、まったく悪びれる様子もなく塚居が店内に入ってきた。店主が少し驚いた顔をしている。
塚居は克人の前に座る。
「いつもの頂戴ね」
言うとほどなく、カフェオレが目の前に置かれる。店主は、まだ驚いた顔をしている。テーブルから離れる際に小さく首を傾げていたように見えた。
「今日はどうしたんですか?」
 店主のことも気になったが、本題はそこではない。克人は呼ばれた理由を聞く。
「今日ねねこがうちに来たのよ。まぁ、それはいいの」
「はぁ」
 克人もねねこがしばしば塚居の家にお邪魔になっていることを知っている。この話は別段驚く話でないし、ましてメールで呼び出しされるようなことではないはずだ。
「克人くん、ねねこに平仮名教えたんだって?」
 突然、言い知れぬ不安が襲ってきた。
「……もしかして、駄目だったんですか?」
 触れモノに触るように恐る恐る言葉を出す。しかし塚居はけろっとした顔で首を横に振って答える。
「まさか」
「よかった」
「でもさ……」
 塚居は体を乗り出すようにして克人に迫る。
「どうやったの?」
「へ? いや、普通に……」
「普通?」
 塚居は口をへの字にして考え込む。
克人には塚居が何を悩んでいるのかが全く分からない。ねねこは小学生が文字を覚えるのと同じく普通に平仮名を書いたり読んだり調べたりして覚えたのだ。
「おかしいわ……。私の力じゃ文字なんか覚えられるようになるはずがないもの」
「えっ? そうなんですか?」
「当たり前じゃない。姿は人間でも、ねねこのベースはネコなの。魔法の力で必要最低限の生きる力を与えることはできるけど、そこに文字を読む能\\\力とかは含まれてないわけ。……となるとねねこは学習をするネコなのか」
「それって普通なんじゃ……」
「とんでもない。特殊よ、特殊。それこそ、ねねこは妖怪の類かもしれない」
「妖怪ってネコ娘みたいなアレですか?」
 冗談を言うような口ぶりで克人は言う。塚居はカフェオレを飲みながらコクリと首を縦に振った。
「まぁ、だからといって晴山君に何か害があるわけじゃないんだけどね。ねねこが特殊なネコだってことが分かっただけでも私にとっては収穫だわ」
 コーヒーカップをソーサーの上において満足そうに言う。
「ねねこが妖怪……」
「妖怪ってのは言い過ぎだけどね。ただ、ねねこみたいな特別に賢いネコが後にねこまただったり、ネコ娘だったりの妖怪になる可能性が高いってこと。それに、妖怪っていっても別に害を与えるわけじゃないって言ったでしょう。普通に接してあげればいいのよ」
「普通に……ですか」
「そうよ、今の状態だってネコ娘であることには代わりないじゃない」
「確かに」
 克人は苦笑いをした。
「たまにねねこがネコだってこと忘れるときがあるんですよ。もちろん、頭の上の耳を見たら思い出すんですけど」
「上手くやってるようで安心したわ」
 塚居は笑う。
だが、急に真剣な顔つきになって「でもね」と口を開いた。
「忘れないでね、魔法の力の源は願うこと。晴山君がねねこと居たいと思うことを止めた瞬間にねねこはネコの姿に戻るの」
「大丈夫ですよ」
 克人は笑って答える。
「毎日楽しいですし」
「そうね、安心したわ。ところで、ねねこが突然バイトしたいって言ってきたんだけど、どうかしたの?」
「ねねこがそんなこと言ったんですか?」
「え、えぇ」
 克人が身を乗り出して驚くので、塚居は少し驚いたように目を丸くする。
「そうですか、ねねこが……」
「何かあったなら相談してくれてもいいのよ?」
「いや、まぁ……。お恥ずかしい話なのですが、今月少し使い過ぎまして」
 克人は視線を下げてこめかみをポリポリと掻く。
「なるほどねぇ」
 全てを把握したような顔をして塚居はカフェオレのカップを傾けた。カップをテーブルに置くと、少し間を空けてコクコクと頷く。
「お金が必要なら、援助するからね」
「いえ、そういうわけにも……」
「私はねねこの母親なのよ? 戸籍上ね」
 克人は塚居から聞いたのだが、塚居の魔法が成立した瞬間からねねこは本当に『塚居ねねこ』として戸籍に存在するらしい。本当、魔法というのは便利にできている。
「だから、ねねこの洋服を買うお金とかは私につけてもらって構わないんだから?」
「そういうわけにはいきませんよ、やっぱり」
 克人は頑なに断る。特にはっきりとした理由があるわけではないが、なんというか、プライドみたいなものがある。
 克人の目を見てそれを感じた塚居は、諦めたようにため息をつく。
「……晴山君って、頑固とか言われない?」
「いえ、まったく……」
「そう。まぁ、これはこれでいい傾向なのかもね」
 と、勝手に結論づけて塚居はこの話題を打ち切った。
「じゃあ、そろそろ帰りましょうか」
お互いにカップの中のものを飲み干して、席を立つ。
「払いは私が持つから」
「いいですよ」
「呼んだのは私だし、厳しいんでしょ? こういうときぐらい年長者に甘えなさい」
「……はい。それじゃあお言葉に甘えて」
支払いを塚居が持ってくれたことに克人は密かにほっとする。昼食だって抜くぐらいに困窮している。
 克人は一足先に店の外に出た。
外は既に暗くなっていた。時計を見ると、7時を超えていた。
「ねねこ、お腹空かせてるだろうなぁ……」
 腕時計の針を見て克人は独りごちる。
塚居が店から出てきて、一言挨拶を交わして別れた。







 克人が家につくと、ねねこは高さのない折りたたみ式の机に向かっていた。この机はねねこ専用の勉強机だ。
「ただいま」
「おかえりなさい」
 ねねこは辞書を開いたまま難しい顔で答えた。
いつもは飛びつかんばかりの笑顔で返事をしてくれるので少し違和感があったが、横に置かれたノート見て納得した。どうやらねねこは勉強しているらしい。
「勉強中?」
「はい、どうしてもカタカナを覚えないといけません」
 克人の言葉に力強くねねこは頷いて答えた。
すでに文字を書く練習も始めているようで、手元のノートにはお手製のカタカナ表が書かれている。どうやら勉強は順調らしい。
「頑張ってるね」
 克人はねねこの頭を撫でる。
「でも、ツとシが逆だよ」
「ふわっ……えっと、本当だ……」
 ツとシを辞書で確認してからしょんぼりとねねこは肩を落とす。気にするな、という意味を込めて克人はねねこの肩をポンと叩く。
「じゃあ、僕はご飯作るから」
「あっ、手伝います」
 手伝うといってもねねこは料理が作れるわけではないので皿を出したりするだけだ。それでも、何かしないとねねこは納得できない。
「今日は勉強していていいよ」
「で、でも……」
 申し訳なさそうに語尾を小さくする。
「いいから、いいから。お手伝いは後でお願いするから」
「はい……」
一応仕事をもらえたということにして、ねねこは勉強に戻る。
ねねこは家に帰ってからすぐに勉強を始めた。勉強をすれば、きっとカタカナも覚えられるに違いないと昌樹と正平のやり取りを見ていて思いついたのだ。勉強の方法は、平仮名を克人に教えてもらったときと同じようにカタカナ表を書くことから始めた。
カタカナ表を書いているときにねねこは大きな発見をした。平仮名の表のときは一つ一つ形を覚えて、形を覚えてから発音方法を覚えなければならなかったが、カタカナは平仮名と同じ並びでできているのだから発音方法は覚えなくてもいいのだ。形だけを覚えれば、あとは平仮名と同じように読めばいい。
克人が帰ってくるまでにカタカナの形を覚えたねねこが次に始めたことは、カタカナの単語を覚えることだった。克人が帰ってきたときに辞書を開いていたのはこの勉強をするためだ。
しかし、この勉強法が面白くない。なにか物足りなさを感じてしまう。一生懸命勉強したいのと物足りない気持ちが空回りし合って、勉強に集中できない。
「はぁ……」
 辞書を持ち、難しい顔をしてため息を漏らす。
「どうしたの?」
 克人の野菜を切る手が止まる。今日は野菜炒めと豆腐の味噌汁。お金がないから野菜炒めは純粋に野菜のみの野菜炒めだ。
「いえ……なんでもないです」
「勉強飽きた?」
「そっ、そんなことは……ありません」
 慌てて否定する。予想は的中していると克人は確信した。言葉の節々や態度にすぐ感情が出るので、ねねこは分かりやすい。
「ただ、前は面白かった辞書が今はあまり面白く無くて」
「なるほど」
 克人は調理を再開する。野菜を切る音が狭い部屋に響く。コンロの上では鍋が沸騰している。
「どうしてなんでしょうね」
 ねねこは出口が見つからず、ため息をついた。ただ、克人はその答えを与えなかった。
「どうしてだと思いますか?」
「わからないなぁ」
 ねねこの問いかけに克人は顔を向けずに答えた。
 別に意地悪をしているわけではない。多分、ねねこにとって悩むということが良い刺激になるのでないかと思ったのだ。
「どうしてでしょうね……」
 ねねこはまた難しい顔をして辞書を読み始めた。
 程なくして、ねねこは辞書を閉じた。ごろりと床に寝そべりもう一度ため息を漏らす。
「ほら、ねねこ。机の上を拭いて」
 調理を終えた克人が寝転がっているねねこに台布巾を渡す。ねねこは勉強に使っていた小さな机をのけて、少し大きな机を持ってきて拭いた。
その机に皿を置き、茶碗を持ってきて2人分のご飯をよそう。それが終わると、ねねこはテーブルにチョコンと座って洗い物をしている克人を待った。
「それじゃあ、食べようか」
 克人がテーブルの前に座り、両手を合わせる。
「いただきます」
「いただきます」
 克人が手を合わせるのに倣ってねねこも手を合わせて挨拶をする。
「今日ね、塚居さんにあったんだ。ねねこが平仮名を読めること驚いてたよ」
「そ、そうなんですか?」
 ねねこは目を丸くして驚く。その反応に克人は逆に驚いた。塚居のことだからてっきりねネコが平仮名を読めるようになったことを褒めてあげたと思っていた。
「うん……。今日ねねこは塚居さんの家に行ったんだよね?」
「はい」
「そこで話したんじゃないの?」
「話しました……けど。その時は魔女さんから、それだけじゃ駄目だって言われました」
「駄目? 何が駄目なの」
「雇ってもらえないんです。平仮名が読めるだけじゃ」
 自分を鼓舞するようにねねこは言う。
「そう、それなんだけどさ。ねねこがアルバイトする必要なんてないんだからね」
 諭すような声で克人は言う。
「……嫌です」
「えっ?」
「私、絶対にアルバイトします」
 ねねこはテーブルの上に手に持っていた茶碗と箸を置いて、克人を睨みつけるように見つめる。克人は、その真剣な目つきにたじろいで言葉が出ない。
「このご飯も、私が着ている服も、勉強するための机も全部克人さんが買ってくれたものです。私が居なければ、克人さんは今みたいに困っていません!」
「それは違うよ」
「違いません! アルバイトをパソコンで探しているとき、克人さんは困った顔をしていました。どうしてですか?」
「それは……大学の勉強との兼ね合いを考えていて」
「ですよね。克人さんは大学に行かないといけないんです。でも、私は一日中家にいるんです。テレビで見ました、こういうのをニートっていうんですよね。働かないで、迷惑ばかりかけて」
「いや、ねねこ……それはちょっと違うような……」
「ネコだったときよりも迷惑かけたら、克人さん、私を……」
 克人を見つめるねねこの目から、涙がこぼれた。慌ててそれをぬぐうが、次から次へと涙が出てくる。
「ごめん」
 ねねこは泣きじゃくってそれ以上何かを言うことは無かったが、克人にはねねこが言いたいことが少しわかるような気がした。
 結局のところ、ねねこは迷惑をかけると捨てられてしまうと思っているのだろう。一度大好きだった飼い主に捨てられた経験がねねこに大きなトラウマを作ってしまったのかもしれない。
「ごめん、ねねこ」
「いえっ。あのっ。ごめんなさい……」
 ねねこは気恥ずかしくなって顔を伏せる。
「迷惑だとか、僕は全然思ってないから」
克人はねねこの頭を撫ぜる。
「はい……。でも、私」
「うん、分かった」
 ご飯を食べる、という雰囲気ではなくなったが、空腹には勝てない。二人は黙々と目の前のものを食べ、後片付けをして、程なく寝た。







 辞書がつまらなくなったのは何故なのだろう。辞書を睨みながらねねこは考えていた。
 平仮名とカタカナの読み書きはマスターしたと思う。ツとシ、ソとンの書き分けだって完璧だ。長い単語だってスラスラ書ける。なのに、満足が無い。不足感を感じる。
「なんでだろ……」
 勉強すれば満足すると思った。しかし、これでは駄目なような気がしてきた。
「メタボリックシンドローム……」
 口に出して紙に書く。スラスラ書ける。一字一句間違えていない。
 ねねこはペンを置いて立ち上がった。壁にかけた帽子を被り、部屋を出た。
「キー」
 戸を閉めながら、手に持った鍵をカタカナで言ってみる。ポケットに鍵をしまい、空にカタカナで単語を書く。
 外に出たものの、やることはなく外でふらふらとする。しかし、克人から遠くに行かないようにと言われているのでねねこの行動範囲というのは自然に限定されてしまうのだが。
 ふらふらしているうちに辿りついたのは、いつもの商店街だった。商店街のアーケードをくぐったとき、ふと足が止まった。これ以上進んでいいものか。
 塚居のところに今度行くときは、カタカナぐらい読めていたい。見返したい。そういうひねくれた根性がねねこの中に生まれていた。それがねねこの足を止めた。
「どうしたネ?」
 後から声がした。
ねねこは慌てて後を向く。そこには、克人のアパートの隣人の李がいた。
ねねこは李が少し苦手だ。
李には『人間以外は全て食材』と考えてしまう悪癖があり、それで一回ねねこのことを調理しようとしたことがある。今では悪癖を出すことはないものの、それでもねねこは李が苦手だ。
「あっ……、李さんですか」
「そんなに驚かれるとなんかショック感じるネ」
「あはは……。ところでこの時間お店はいいんですか?」
 李は商店街で『影武者』という中華料理屋を経営している。確かにお昼時が過ぎた時間ではあるのだが、店に居なくてもいいのだろうか。
「大丈夫ネ。いつもお昼過ぎると閉めて仕込み始めるヨ」
「なるほど」
「ところでねねこはこんな所に立ち止まってどうしたネ? いつもみたいな元気ないヨ。克人と喧嘩したカ?」
「そんなことないですよ」
「本当にどうしたネ。いつもならムキになって怒る。店、来て話しようか」
「えっ、あの……大丈夫ですから……」
「どう見ても大丈夫違うネ。ほら、コッチ来る」
 李はねねこの腕を掴んで強引に店に引っ張った。ねねこは初め抵抗したが、抵抗むなしく張られてしまう。抵抗するだけ自分の手が痛くなるので、諦めて渋々歩いた。
 店の勝手口から入る。毎日掃除をしているとはいえ、あまり綺麗とはいえない厨房通って店内の席に腰掛ける。李はねねこを席に着かせると店の冷蔵庫から杏仁豆腐とウーロン茶を持ってテーブルの上に置いた。
「ありがとう、ございます」
「ドンドン食べるといいヨ。隣人のよしみで今日はお代取らないネ」
 そう言って、李は自分の前にある杏仁豆腐をスプーンですくって食べ始める。ねねこも倣って食べる。
「……美味しいです」
 思わずためず息を漏らすように感想が洩れる。
「何を悩んでいるカ?」
「ふぇ?」
 ねねこは虚をつかれ、ポカンする。
「何か、悩んでいるんじゃないカ?」
 心配そうに李はねねこを見る。初めて店を訪れたときにネコ耳娘のねねこを食材と勘違いして暴走した李からは想像もできない優しい表情だった。
「李さんって日本語うまいですよね……」
「そうでもないヨ。訛りはあるし、知ってる言葉も少ないヨ」
「それでも、文字を読んで書けるんだから凄いですよ。どうやって覚えたんですか?」
「変なことを聞くネ」
「あっ、えっと……ちょっと勉強に行き詰ってしまって」
「なるほどネ。ワタシの場合は、モノが持つ意味から単語を覚えていったネ。そうすれば、スラスラ覚えられたヨ」
「意味、ですか?」
「そうネ。音だけ知っている言葉も、意味が分からなければ役に立たないヨ」
「そうか……」
ねねこは、何か足りなかったパーツがカチリとはまったような気がした。
「ん? どうしたネ。突然顔色良くなったネ」
「李さん、良いお話をありがとうございます!」
 ねねこはニコッと笑い、李の手を取る。
「何かは知らないけど、元気になって良かったヨ」
 李もねねこの手を握り返す。
 いつの間にか、ねねこの中にあった李に対する恐怖心はなくなっていた。握り返された手を更に強く握り、もう一度「ありがとうございます」と言って店を出た。

 





 李と話してから1週間、ねねこは商店街から離れた国道沿いにある大きなドラッグストアに通いつめた。1週間通いつめたおかげで、クスリの名前はばっちり覚えた。効能も店員から教えてもらって覚えた。何を聞かれても答えられる自信が付いた。
 先週の日曜日、克人は疲れ切った顔でアルバイトからかえって来た。慣れない長時間の力仕事でヘトヘトになって、その夜はお風呂にも入らずに顔だけ洗って寝てしまった。
 これ以上、克人だけに大変な思いをさせたくない。
 ねねこは閉店間際の塚居薬局の前に居た。もう、大丈夫だと思う。
ねねこは自動ドアをくぐった。
「魔女さん」
 気合が入った声でねねこはカウンターに居る塚居を呼んだ。
「あら、久しぶり。今日はどうしたの?」
 久しぶりにねねこを見て嬉しくなったのか、カウンターの前に来たねねこの頭をワシワシと撫ぜる。
「今日は、私を店員に採用して欲しくて来ました」
 キッパリねねこは言う。
だが、塚居は取り合う様子も無くねねこの頭を撫ぜ続ける。
「まだ早いわよ。ねねこがアルバイトなんて」
「できます!」
「……」
 塚居は、ハッキリと言い返すねねこの目を見た。
塚居は息を漏らす。
「わかったわ。ただし簡単な試験をさせてもうらうけど、良い?」
「はい」
 試験と聞いて固くなるかと思いきや、ねねこは全く態度を変えない。むしろ、何を出されるのかと期待をしている様子すらある。
「自信満々みたいね」
「勉強してきましたから」
「あら、それは頼もしい」
「任せてください」
「じゃあ、まずは頭痛薬を取ってきてもらえるかしら?」
 塚居が出した問題は数日前のねねこには解けるものではない。頭痛薬の箱に「ズツウヤク」だの「ずつうやく」とは書いていない。つまり、漢字を読めないといけないのだ。
 しかし、ねねこは迷わずに幾つかの頭痛薬を塚居の前に持ってきた。
「どれにしますか?」
「効き目、分かるの?」
「具体的には分かりませんが、ある程度は」
「じゃあ、子ども用の頭痛薬は?」
「これと、これです」
 ねねこは迷わず可愛い犬の絵柄が書かれたものと、簡素な文字だけ書かれたオレンジ色をした箱を指差した。
 どちらも正解だった。
「じゃあ、次は風邪薬を取ってきてもらおうかしら」
「どういった症状ですか?」
「……喉の痛みから来る風邪よ」
 ねねこに返され、塚居は一瞬言葉が出なかった。そこまで考えていなかった、というよりもねねこがそこを突いてくるとは夢にも思わなかった。
「わかりました」
 ねねこはカウンター奥の風邪薬コーナーから、迷わず3つの箱を持ってきた。どれも正解だった。
「これで間違いないですよね。ただ、こっちのカラフルな箱のクスリは喉から来る風邪だけでなく熱も引いてくれる効果があるので持っておくとなにかと便利だと思いますよ」
 よく調べてきたものだ、と塚居は感心する。もう文句などない。足りないことがあれば教えれば出来るはずだ。
「合格よ。勉強したのね」
「ありがとうございます」
 これで克人一人に迷惑をかけることもなくなる。そう思うと、ねねこの目からは涙がこぼれた。
「何で泣いているの」
 塚居は苦笑いをしながらねねこの目頭にたまった涙を拭う。
「これで、迷惑かけずに済みます」
「迷惑?」
「はい、これで大丈夫です」
「なるほど、そういうことか」
 優しいため息をつき、塚居は泣きじゃくるねねこを抱きしめた。まるで母親のように、泣き止むまでずっと抱きしめた。
「彼は絶対に大丈夫だから、安心してずっと一緒にいなさい」
「ありがとうございます……」
 泣き止んだねねこは、洗面所で顔を洗ってから2階にある部屋へと向かった。薬局はとっくに閉店時間を過ぎていた。洗面所に行っている間に塚居は閉店作業を終え、ねねこを迎えた。
「とりあえず、これからねねこを雇う上で幾つかやらないといけない作業があるのよ。謄本は捏造してあるし履歴書は後で書いてもらえば問題ないか……とすると雇用契約を結ばないとね」
「雇用契約?」
「まぁ、簡単な作業よ。書類にサラサラっとサインしてくれればいいから」
 塚居は部屋の角にある木製の棚の3段目から、書類の入ったファイルを取り出した。塚居はファイルの中から書類取り出し、テーブルの上に置いた。
「大変だったのよ、書類作るの。なにせ初めて作ったんだから」
「これは?」
「雇用契約書。ほら、この欄にサインして」
 ペンを手渡され、ねねこは書類にサインをする。名前は書けるように何度も練習をしてきた。
「はい、これで雇用契約完了。じゃあ、これからは私のことを魔女じゃなくて店長と呼びなさい」
「?」
「アナタは雇われの身なんだから、私のことを店長と呼ぶのはバイトの常識なのよ、わかる?」
「な、なるほど。わかりました、店長」
「よろしい」
 塚居とねねこは互いに笑った。
 塚居は克人からねねこが学習するネコであるということを聞いたときに悟っていた。いつかはねねこを雇う日がくることを。だから、いつでも来れるようにと書類を作って待っていた。
 こうして、ねねこは塚居薬局の看板娘として時給700円、昼食・昼寝付の条件で働くことになった。





半年振りの更新ですか……
はい、緋者です。覚えている人、いるでしょうか。ねねこのお話です。お話の中の季節は冬。更新しているリアルの季節は夏。でもそんなの関係ぇNEEEEと言わんばかりの更新です。ハヤテのごとくをみたら、物語の季節感なんてどうでもよくなりますね。
実はこれ、草稿は4月の段階で上がってたんですよね。ただ、どうも校正をする気が起きなくてねぇ……ヘヘヘ。
今までタグをつけるのが冗談抜きで面倒だったんですけど、友人がツールを作ってくれたのでその作業も緩和しましてやる気が倍増。さぁ、次は頑張ろう。
それでは、またいつか。

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